June 2021

さて

気づけば6月も半ばに差し掛かり

夏至を迎える前の日記となった。

2時間ほど続く、長い夕暮れが

夏の南半球のようで美しい。

スプラウトの栽培、枇杷や柿の葉を干したり

そこらの紫陽花や百日紅などを摘んでドライにしたり

トゥルシーの種を蒔き、苗を愛でたり

毎日、ずっと何かしらを。

綺麗な水がつくりだす

きれいな細胞や活力の大切さを改めて感じている。

植物たちにあげる水をエアレーションし

沸き上がる気泡を見つめて 珈琲を飲みながら。

ここでは鳥達の声や、風が鳴らす木々の音など

いわゆるアコースティックな音楽が

常に心地よく鳴っているので

外的な音楽を求めるのは、たまにでいい。

SNSなどの情報も、日常的に摂るのをやめてみたら

僕たちの不安や漠然とした悲しみも

脳がつくりだしたまぼろしであると知る。

演奏の予定も、軒並み中止となってるが

充実した毎日を過ごせていると

それによって感情が左右されることはない。

ただ、眺めて感じている。

その直感がつくりだした哲学が

それぞれの人生を決めてゆくのだろう。

僕は直感に従い

浄化してくれる樹木や花、ニームやトゥルシーの種を蒔き

微生物や生態系をなるべく壊さないように

ちいさな森を開拓して

自分たちの食べ物、そして感性を

ささやかに育て始めようと思う。

ウイルスのかわりに

スパイクタンパクが蔓延していく世の中ならば

どちらにしろあまり依存はできないだろう。

気候変動により

おそらくこれからの農産物の価格は高騰してゆく。

新芽を食べるスプラウトやマイクログリーンなどは

栄養価も桁違いな上に、室内でも簡単に育てられるので

多くの人が選択せざるを得ないだろう。

なによりもその過程において

僕たちがいかに求めすぎてきたのかを知るだろう。

種が発芽するその時、何の栄養も必要ないように

もうすでに持っているものが

僕たちのなかにも、たくさんある。

先日、2,3年ほど練習していた

Big Countlyという曲が何気に弾けるようになったので

その曲を教えてくれた

当時メルボルンで一緒に過ごした友人に、ボイスメモを送った。

ヘタな演奏だが、なぜか涙があふれてしまうような録音だった。

本当に何気に出した便りだったのだが

その日 家に帰ると

なんとその友人から小包が届いていた。

おそらくオーストラリアを、2.3週間まえに出たであろう荷物。

出来事に信じられず、興奮して包みを開けると

引っ越しと誕生日を祝う手紙と

100年前のアンティークのガラスボトル

そしてプラスティックオノバンドのカセットが入っていた。

なににもとらわれず

人間らしくいれたとき

その力を信じるとき

素晴らしい出来事など、日常的に起こってくる。

今朝 聴いた、美しい言葉

"わたしがわたしである以外、なんの義務もない"

のだから。

美しい日々を。